昨日、被災している宮城石巻の娘と孫の3人を避難させるために、岩手県の「いわて花巻空港」まで、出迎えに行ってきました。飛行機には食糧品・衣類等をダンボールとキャリーバッグにいっぱい詰め込んで、乗せてもらいました。ちょっと重量オーバーでしたが、被災者への物資と理解してくださっているようで、快く引き受けてくださいました。
被災地から大阪へ
大阪への避難道
被災している娘達を一刻も早く、大阪へ避難させたいという気持ちでいっぱい・・・
宮城には、空路も陸路も、一般人は制限されており、全く入ることができません。何か良い手立てはないものか・・・と思っていた時、18日に友人が手を差し伸べてくれました。
「石巻赤十字病院に救援物資を持って行って、今日帰って来る車があるんだけど、再び物資を積んで、だれか運転して石巻まで行かれませんか?」
石巻市中里付近の様子
被災地5日目、石巻市中里小学校避難所や付近の様子をyoutubeで見つけました!!やっと腰まであった水が引き、片付けができるようになった・・・と伝えられています。
水につかっていない食品を買う求める人もあるとか・・・
我が孫のミルクは足りているのだろうか・・・と、胸が締め付けられるほど、不安になります。小さな命の綱の「粉ミルク」。どうか無事に食料や水にありついてほしいと願うばかりです。
宮城沖地震
新診療所のカーテンを全部決める、ギリギリの段階になりました。その下調べのため、内装業者さんと本町のトーソー株式会社のショールームを見に行く予定で、一緒に本町の美々卯で遅がけの昼食をいただいていました。食べ終わったその時・・・急に胸がつかえて「吐き気」を催してきました。その直後、ぐらっと揺れて・・・
「わぁ〜、地震ですね。」
トラブル続出
いよいよ家具が設置されて、診療所らしくなってきましたが・・・
トラブル続出です。何回も型紙を作ってもらって思索した受付カウンターは、思い通りの出来上がりでしたが、立体図面を確認していなかった1階と2階のフェイスチェックで、カウンターの高さや、色が合わず、やり替えてもらうことになりました。このレベルは任せておけば大丈夫だろう・・・という甘い考えがあったからです。
移転の準備あれこれ
新しい診療所を移転開設することの大変さを、今、ほんとに身に沁みて感じます。私の想像していた何倍ものエネルギーを必要とし、そのために波及する仕事は、きりがありません。また、新しい大きな建物を建てることによる、近隣への配慮、またそれに伴って湧きあがる問題(今までは水面下に潜んでいたかのよう)が、連続で起こってきます。