浩子の部屋

涼味フレンチと狂言

例年のごとく、佐保会大阪支部総会に出席してきました。1時間の議事終了後、美味しいフランス料理をいただきます。シェフが、「涼しさ」と「可愛さ」と「食べやすさ」を考慮されたお料理の数々。シニア女性ばかりの集まりならではの、目にも楽しい、味も優しい、隠し味にもこだわった・・・感が伝わってきました。
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「3種の可愛いアミューズ・夏」は、柚子風味の和風ジュレが絶品でした。出汁ではなく、コンソメでサッパリと仕上げておられ、魚は昆布でしめてありました。
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赤ワイン風味煮のココットは、赤ワインのコクが効いていて、ほんのり苦味が口元を引き締めます。
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ボリューム満点の鱸(スズキ)・帆立貝柱・手長海老をつなぎでまとめて、冷製ホワイトソースで仕上げられた、まろやかでありサッパリ感が味わえる一品。
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お料理が終わると、本日のメインイベントの「狂言」が始まりました。大蔵流の茂山千三郎さんが、狂言の入門編を語ってくださいました。
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そもそも、狂言は、親戚みたいなものですが、「緊張」と「緩和」という正反対のもの。能は、内にこもる濃縮されたものであり、人の悲しみ等の喜怒哀楽をじっくりと静かに表現するものです。狂言は、笑いを誘うものであり、発散していくもので、現代のコメディのようなものです。だから、狂言では、緊張はナンセンスであるということです。でも、能と狂言の元となっている、所作や動きは一緒です。構えは同じなのですが、表現の方向性を変えていくことで、全く違ったものになるんですね。
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「舞台に立つ」時は、腰をぐっと落として構える。これを「ためる」というのですが、あらかじめ、ためて、準備をしているということです。「ためる」というのは、もともと日本人が大好きなことです。これは、「もったいない」思想が反映して、ためておく「安心感」に繋がるからなんです。狂言や能の演技中の「ため」は、余裕を持たせているのです。
そして、西洋の動き・・・例えばバレエ等は上へ上へと伸びようとする縦の動きですが、東洋の動きは、横へ横へと、上下しないように広げていく動きです。これは、「神様のいる場所」が違うからと言われています。米を作ってきた農耕民族の神様は「大地の神」です。西洋の神様は「天上の神」だから、上に伸びるのが美しい。また、東洋では「すわる」文化があります。正座すると、心が落ち着き、ゆったり、ほっこりします。「すり足」も、地にはびこって広がっていく思想があるのではないでしょうか。
狂言の様式は、2拍子です。そして、「あるつもり」で演じる、まず、型にハマる。例えば、物を投げるしぐさの時に、腕を振り回して投げてしまうと、その物が何処へ飛んで行ったかが客席からは分からない。それを何処へ飛んで行ったか分かるようにするには、振り回した腕を一旦止めて、投げきった方向でピタッと腕を固定することで、その方向に飛んでいったのだと分かる。このように、理屈ではないが、背景には説明しきれない理屈がたくさんあります。これも、長い歴史の中で、人が積んできた文化の結集であるからなのでしょう。
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今日の演目は「鬼がわら」。大名が、家来の太郎冠者を連れて、神社にお参りをしました。すると、そこで鬼がわらを見つけました。それをよく見てみると、誰かに似ている・・・
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誰だろう??そうだ、里に残してきた我が奥方の顔にそっくりではないか・・・(笑)。
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こういう筋書きです。狂言師の表現力とその間合いが、なんとも絶妙な・・・上品な笑いを誘い出してくださいました。
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日本の歴史ある芸能に触れることは、年を重ねるごとに、とても大切なことだと思うようになりました。せっかく日本に生まれ育って、一番深く理解できるはずの文化を見ずにいるのは、もったいないことです。私の祖父は、能も狂言もしていました。私が小さかった頃、篠山の春日神社の能舞台に出ていたのを、かすかに覚えています。また、父方祖父母の金婚式のお祝いの席で、祖父が狂言を演じていました。演目までは覚えていませんが、「翁」の格好をしていました。今なら、じっくりと観賞できたことでしょうに・・・残念です。
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にんまりと  心が緩む   狂言技

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