お盆になると・・・いつもは、旅行・・・
今年は、主人を除いて、みんなで墓参りに行ってきました。
浄土真宗なので、「南無阿弥陀仏」と彫られた江上家の墓です。孫達も、何かわからぬままに、水汲みや、水かけを手伝ってくれます。仏様を拝む心は、日常の仏壇と同じであることは、感覚的に察知しているようです。ママ達は、お墓のことを
「昔のおじいちゃん、おばあちゃんが居てはるから、暑いので水をかけてあげてね。」
と、説明しているようです。
私も、お墓に向かう前に、一番上の孫とお話していました。
「今日はね。も〜っと、もっと前のおじいちゃんやおばあちゃんの体の骨が埋めてある『おはか』に行くのよ。骨って、わかるかな?ガイコツは知ってる?」
「うん、しってるぅ。」
「あの骨が、中に埋まっているの。だから、きれいにお掃除して、きれいに洗ってあげるの。お水をいっぱいかけてあげてね。」
「うん、おみじゅ、いっぱい、いっぱいしゅるね。」
よくわかったのか?わからないのか?
とりあえず、みんなでお参りすることに、意義があるんですよね。ご先祖の繋がりがあって、ここに「生」があり、ご先祖のお護りがあって、みんなが集うことができる。ひとつの清い聖なる気持ちでお参りすることで、「家族」という集団の一員であることを再確認するんですね。孫達も、今は遊びながらでしょうが、これが深い意味であることを、いずれの日にか感じてくれることでしょう。
パパやママ達は、自分の子育てを通して、自分自身が育ててもらった「恩」を感じる事でしょうし、遠い過去のご先祖を拝むことで、子供達の未来の健やかな成長も願うはずです。
家系という縦の流れは、日頃は特に感じるものではないですが、こういう機会にこそ、「受け継がれていく」ことの大切さを身に沁みて感じてほしいものです。遺伝子は、面々と脈々と受け継がれていきます。言うまでもなく・・・姿・形に表れていますけれど・・・(笑)
お盆は、浄土真宗では「盂蘭盆会」といって、盂蘭盆経を聴くための日だそうです。
一般的な先祖供養とは違い、「お盆は、念仏の味わいを深める大切な行事である」とされています。そして、次のように教えてくださいます。
「先祖との本当の心の交流は、阿弥陀様を介さないとできません。亡くなった方と阿弥陀様を通じて会うとき、はじめて愛と憎しみを超えた本当の会い方ができるのです。」
とても深い深い御言葉ですね。つまり、相手が餓鬼に見える時、それは自分の心がそのまま反映されている(写し鏡)のである。自分の親ですら、自分の穢れた心を通すと、餓鬼に見える事がある。まず、自分の甘えを失くし、心をきれいに浄化して、心を素直に透明にすることで、本質の交信ができ、心通い合う幸せな人生が待っている。
そんな意味ではないかと思います。
人生百年。長いようで、はかない命。1日でも、1時間でも、1分でも、楽しい時間を過ごした方が得ですよね。皆さんも、お盆について、ご家族で話し合ってみるのもいいことかと思います。
誰ですか???
お盆は、「盆踊り」をする祭りの日だ!
お盆は、「里帰り」をする休みの日だ!
お盆は、「仏壇飾り」をする提灯の日だ!
・・・なんて、言っている人は・・・(笑)
皆さんも悠々と、優雅に、有意義なお盆休みを過ごして下さいね♪
<追伸>
今日、突然来てくれた当院の元スタッフ2人は、
「お盆は、勤務していた元職場への里帰りの日」でした。(笑)
今日は墓参り へのコメント