春分の日は、私達の37回目の結婚記念日・・・ですが、そんなこととは関係なく、お彼岸のお参りに、浄土真宗本願寺派の金臺寺(こんだいじ)に行かせてもらいました。30分の読経のあと、いつも講師の方がみえられ、私達に説法をしてくださいます。予定の時間より、随分早くついてしまいましたので、寺の庭の花をじっくり観てまわりました。
青空に映える白梅と、その隣には赤い寒椿。春間近を思わせます。
また隣には、黄色の花。見たことあるけれど、名前がわかりません。
もくれんの花芽もあります。
ふと、視線を落とすと、かわいい、かわいい「ふきのとう」がいっぱい芽吹いています。自然生えの「きれいなお顔」をしています。きっと、若草の芳しい香りがすることでしょう。
必死で写真撮っていたら、ちょうどお参りに来られた年配のご婦人が、一言。
「これ、お味噌付けて食べたら、美味しいやろな。ええ香りするで~。」
ふきのとうに見惚れていたので、ちょっと興ざめ・・・(泣)
でも、気をとりなおして、春の息吹にどっぷり浸ります。そして、説法を聴聞します。
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「お彼岸の中日」の「中日」を「なかび」と読んだNHKアナウンサーがいたそうです。これは、プロ野球と同じ、「ちゅうにち」と読みます。お彼岸1週間の真ん中の日という意味ですが、仏教用語はあまり使われなくなり、世間では「春分の日」といわれています。人生においての心の節目として、「お彼岸」という言葉を使ったほうがわかりやすいと思います。
「仏」という字は、もともと「佛」と書きます。ニンベンは「人」ですが、「弗」はどう読むのでしょうか?知っている方は、少ないと思います。私もわかりませんでした。
「弗」は、「あらず」と読むそうです。「沸」は「お湯が沸く」というように使われます。
「水にあらず」=「沸」、「人にあらず」=「佛」=「仏」ということです。
「万歳」と書いて、「ばんざい」と読みますが、これは人間の欲望の表れです。人間において、「老・病・死」は一番嫌がられることですね。反対に、「若・健・生」・・・いつまでも若く健康で行き続けたい・・・というのが、元来の欲望です。でも、人間の寿命は、長くても百三十歳くらいまでです。「鶴は千年、亀は万年」といわれ、縁起がいいものとされているように、人間もあやかって千年・万年生きたいと思うのが普通ですね。だから、「万歳まで生きたい」という意味で、「万歳=バンザイ」になったようです。
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知っているようで、知らないことは多いですね。聴聞は、年配の方ばかりです。あの世に近いから早く修業をしておかないという気持ちである場合と、連れ合いを亡くされた方が心の拠りどころとして来られている場合とかもあります。何よりも心の安住が一番ですね。
ほっこりと 表れ出でる ふきのとう
大都会のど真ん中でも、春は着実にめぐって来ています。若草色の「ふきのとう」を見ると、「また1年を積み重ねた」という思いと、草木の生命力を感じます。