診療所で、私の幼いころの写真に突然出会って、驚きました〜ぁ。
なんと、50数年前になります。もうすでに忘れ去りし、記憶の片隅に追いやられていた映像が、目の前にあります。こんなんだったの???・・・と思うくらい。左隣りにいるのは、私の母。では、右隣りにいるのは、いったい誰???これは何処の写真???
疑問符が頭の中にいっぱい浮かんでくるような状況です。
実は、私の母の従姉妹(いつも『オバサン』と呼んでいます)が、先日より治療に来られていて、今日が最終日ということで、古い懐かしい写真を持ってきてくださったのです。私の祖母の実家である豊能郡能勢町片山の親族が写っている写真も見せてもらいました。
「わぁ〜、おばあちゃんやぁ〜。」(向かって右から2人目)
もう、10年前に亡くなった祖母の若かりし頃の写真です。
「これは、おじいちゃんやわぁ〜。」(後ろ中央)
「ええっ?!これがよしゑおばちゃんのご主人やったん?知らんかったわぁ。」
「これは、恒次郎さんで、よしゑさんの旦那さん。私のおじいちゃんです。」
オバサンの話では、祖母の後ろにいる人がいったい誰やろ?・・・とずっと思っておられたようです。オバサンの周りの親族も意外と知らなかったようです。あんまり交流がなかったんですね。
写真の真ん中で、白い裃(かみしも)を着ているのが、よしゑおばあちゃんの甥で、おばあちゃんの実家の跡取り息子です。私は、能勢のオジサンと呼んでいます。このオジサンには、歯科医院を開業したころに、遠く離れた能勢から、たくさんの患者さんを紹介していただきました。しかも、夜遅くに、車2台で連れて来てくださいました。一般診療が終わったあと、夜の9時から12時ころまで、主人とふたりで、多い日には10人くらい診療しました。農家の方ばかりで、農閑期の時に集中して診て欲しいということで、週に2日(火・金)のわりで診させてもらいました。まだ幼子だった娘達は、オジサンにお守りをしてもらって、主人と必死で仕事させていただきました。
今思えば、ほんとに無我夢中でしたが、オジサンのお世話になって、たくさんの患者さんを診させていただき、未だに能勢から通院してくださっている患者さんは多々あります。田舎の方であり、また、オジサンの紹介なので、ほんとに気だてのいい方ばかりです。何故かほっとするような「心温かい」ものを持っておられます。能勢にもたくさん歯医者ができた今でさえ、何時間もかかってきてくださる・・・そのお気持ちだけでも嬉しいものがあります。これも、みんなオジサンの人柄の良さが、人脈を生んでいる証拠ですね。いつまでも長生きして、
「おい、ひろこちゃん、がんばってるか?!たまには、お母ちゃんとこ、行ったりや。」
と、はっぱかけに来てくださいね。
ところで、よしゑおばあちゃんは、私が小さい頃からとても信心家でした。私の記憶では、3歳のころ、お仏壇の前でおばあちゃんの横に座り、手を合わせて拝むと、
「この子はかしこい、この子はかしこい。」
と言って、私の頭をいつも撫でてくれていたおばあちゃんがいます。いつも、神さん仏さんを大切にし、手を合わせて拝むことが、日課になっていたおばあちゃんです。母が、一日中洋裁の仕事をしていたので、私はずっと「おばあちゃん子」で育ちました。
今、自分がおばあちゃんという立場になってはじめて、よしゑおばあちゃんのしてくれた意味がよく分かります。子守唄を歌いながら、背中におんぶしてずっと歩き続けて寝かしつけてくれていたこと。あったかくて、揺れが心地よくって、子守唄も眠りを誘う周波数で、何とも言えない安心感があったのを思い出します。だから、自分の孫もみんな、おんぶして寝かしつけます。私がしてもらったのと同じように、愛情と安心が、深い深い記憶の底に沁み込むように。そして、いつも「かしこい、かしこい」と頭を撫でて、「じょうず、じょうず」と拍手して、 「心がほくそ笑む言葉」をいっぱい残してあげたいと思います。
よしゑおばあちゃんに教えてもらった、もっと大切なこと。それは・・・「信心」です。
「何があっても、神さん仏さんが一番や。しっかり拝んでお願いすると、ちゃんと聴いてくれはる。」
神を大切にすること・・・それは、自然(八百万の神)を大切にすること。
仏を大切にすること・・・それは、先祖を敬い、人を信じ尊敬すること。
神仏を崇拝すること・・・それは、人間としての道理を全うすること。
1枚の写真には、たくさんの大切な思い出が秘められているのですね。オバサンの話をいろいろと聴きながら、懐かしい人にたくさん出会えた気がしました。(嬉)