浩子の部屋

大阪への避難道

被災している娘達を一刻も早く、大阪へ避難させたいという気持ちでいっぱい・・・
宮城には、空路も陸路も、一般人は制限されており、全く入ることができません。何か良い手立てはないものか・・・と思っていた時、18日に友人が手を差し伸べてくれました。
「石巻赤十字病院に救援物資を持って行って、今日帰って来る車があるんだけど、再び物資を積んで、だれか運転して石巻まで行かれませんか?」


救援物資搬送の許可をもらったレンタカーを、そのまま別の物資を載せて、石巻まで運転していけば、帰りに娘の所に寄れるかも?・・・というお話でした。陸路は車で行くしかないので、すぐに手配をお願いしました。でも、大阪から運転していくには、かなりの体力と気力と根性が必要です。次女の婿ちゃんと私とで行こうか・・・と考えました。
「えっ?お母さん大丈夫なん、運転できる?」
と、娘に言われてしまいました。気力なら負けないけど、体力に自信がありません。誰か行ってくれる方は無いか・・・と捜して・・・プロのタクシードライバーを採用する段取りをしました。
さあ、持っていくものを手配しないといけません。娘が買い出しに走ってくれました。いろんな準備が整って、石巻から帰ってきた車と落ち合う時間が近づいてきました。そこへ・・・石巻の娘から、偶然に?診療所に電話が入りました。携帯電話がやっとつながるようになったようです。
「今から、石巻まで車で行く段取りをしたんやけど・・・」
「えっ?!車で来るの?ほんまに?ほんまに来るの?」
半信半疑の娘です。事情を話したら、帰り道が子供を連れては大変だというので、できれば2〜3日遅れても、飛行機で帰りたいと言い出しました。宮城石巻から岩手花巻空港までなら、送ってくれる方があるというのです。
早速に、阪急交通社のいつもお世話になっている方に電話して、花巻→伊丹便の予約がとれるかどうか調べてもらうことにしました。その間、物資搬送の車との待ち合わせの場所に向かいました。石巻から帰って来られたボランティアの方に、道路事情やガソリンの給油のこと、石巻の状況等を尋ねて判断しようと思いました。
ボランティアの方は、物資を南港で再度積載して、やって来てくださいました。東北の道路事情は随分大変だったようです。石巻の海岸や川の周辺は、がれきの山で死体がそのままの状態であり、親族ですら遺体を引き揚げる場所も無く、手を合わすしかない・・・という最悪の状態だったと聞きました。車もがれきの上を通らないといけないし、雪でスリップしやすいし、非常に危険が伴う状況であるということでした。
そこへ、阪急交通社から、22日ならば飛行機が予約できると連絡が入りました。すると・・・
「飛行機の方がいいと思いますよ。素人は、やはり行かない方がいいですよ。」
と優しくおっしゃっていただきました。せっかくここまで手配していただいたのに、ほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、行っても帰ってくる方がもっと大変だったかもしれんません。ほんとにいいタイミングで電話がかかったことに感謝しています。
22日の朝に伊丹空港から花巻空港まで迎えに行って、娘と孫3人とともに大阪に帰って来る段取りです。飛行機なら安全だし、予測がつくので、ほっとしています。娘も、帰れる目途がついて、一安心したようです。婿ちゃんも連れて帰りたいのですが、被災地には強盗や窃盗団が横行しているらしく、空家にできないそうです。ほんまに大変ですね。人の弱味につけこんで悪いことをする人が、世の中にはいるのですね。
今日は、飛行機に積んで持っていく荷物をダンボール箱に詰め込んで、宅急便で伊丹空港ターミナルまで届けてもらうように手配しました。ビニール袋、靴下、軍手、米、レトルト食品、コーヒー、お菓子、他に情報が無いからということで、被災してから今日までの新聞も入れました。手土産には、パンや納豆を持っていく予定です。
震災から10日経ちました。阪神大震災とは比べ物にならないほどの広範囲で、津波で身元確認もできない方がいっぱいある、1000年に一度の大災害です。
どうぞ、東北の方々、日本人皆が応援していますので、少しずつ立ち上がってください。
未来に向かって!!子供達の将来のために!!

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