浩子の部屋

2010年春季彼岸会

今日は、お寺での春季彼岸会(ひがんえ)に行ってきました。
場所は、大阪市北区堂山町にある浄土真宗西本願寺派「金臺寺」(こんたいじ)です。毎月のお参りには、ここの住職に自宅に来ていただいております。いつものように正信偈和讃という経典を唱和(永代経厳修)してから、広島県光徳寺住職・藤田徹文師の法話を聴かせていただきました(仏法聴聞)。
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金臺寺の前庭には、早や、枝垂れ桜が咲いていました。薄桃色が光に映えて、何とも誇らしげに春を迎えているようで、心がホッと和んでいきます。
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木蓮の白い花も咲き誇っていました。
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その足元には、「おやっ、ふきのとう?」・・・ですね。
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青紫のアネモネも太陽に向かって、「どう?わたし綺麗でしょ?!」と言わんばかりに、空を見上げていました。
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例年より早く訪れた春を、お参りにきた私達に知らしめるかのように、それぞれの木々も花も一生懸命咲いている気がしました。
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本堂では、今日の彼岸会に来られている顔なじみの方々に、久しぶりのご挨拶をさせていただきました。ご縁があって、このお寺にお参りするようになって10年です。ここでの聴聞のあとに、お斎(おとき)という軽食をいただきながら皆さんが集うのですが、それでお知り合いになった方々です。ほとんどが年配の方ばかりです。
ちょうど私の出身大学の先輩がおられて、いろいろとお話を聴かせていただいたり、ご友人を紹介していただいたりと、仲良くしていただいて、ほんとにありがたいことだと思っています。今日も、その先輩に、佐保会大阪支部総会の催事があるので、「7月に是非出席してほしい」と頼まれました。佐保会という地区同窓会も、この先輩に誘われて初めて出席しました。同級生やお知り合いの先輩もたくさん来られるので、できるだけ出席したいと思っています。
今日の法話は、わざわざ広島から来ていただいたご住職ですが、実は大阪生まれの大阪育ち。40年広島に住んでいても、なかなか広島弁がしゃべれなくって、未だに大阪弁のままで、地元の方に、「いい加減に広島に馴染んでくんさいやっ」と言われる始末とか・・・。
そんな明け透けな会話をされる面白そうな住職です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜<法話>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
浄土真宗の門徒は、「門徒もの知らず」と世間で悪評をかっていたようですが、昔から「日が良いや悪いや」とか「方角が良いや悪いや」を全く気にせずに生きてきました。つまり、大安や仏滅ということを気にしないというか、区別しないんです。
何があっても「ありがたや!!」と言うんです。
自分の思うようになったら、普通に「ありがたや」というでしょ?!でも、門徒は、人から見たら、大変な辛い人生を送っている時でも、どんな時でも「ありがたや」と言うんです。だから、昔から、他宗の人から見たら、おかしい?世間知らず?と言われていたようです。でも、私としては、その「ありがたい」という人生を生きていきたい。また、そういう人生を、皆さんと共に味わいたいと思います。
テレビの公共広告で流れている「命を大切に」という言葉は、昔は言わなかった。今は、命を粗末にする時代だからこそ、そう言うようになったのではないですか?皆さんは、手紙の末尾に何と書かれますか?「命を大切に」とは書かないでしょ?「御身を大切に」と書きますよね。私達は人間に生まれたのだから、「身」と書いて「いのち」と読みます。たとえば、今日のような法話を聴いてきた時に、話の内容が、「身に沁みた」とか「身に当たった」とか「身に応えた」とかは言いますが、「命に沁みた」とかは言わないですよね。
私達は、「身仕度」をして、この人生を生きていきます。
「この身」がどうなっているかが、仏教にとって一番大きな問題なんです。「不惜身命」(ふしゃくしんみょう)という言葉がありますね。「身命を顧みずして来られた・・・」というように使われ、決して「生命」とは言いません。生命という言葉は、昔は無かったのです。きっと明治時代に「生命保険」という言葉ができたから、そう使われるようになったのかもしれませんが・・・(笑)。だから、人間という「この身」をいただいたことがありがたい、そして、仏さまの教えを聴くことができたことがありがたいのです。
仏教では、覚者(目を覚ました人)の教えをよく聴いて、自分も目を覚ました人になることが大切です。覚者とは、もちろんお釈迦様(釈尊)のことです。この世は、すべて諸行無常。だから、流転や輪廻という生死(しょうじ)の迷いから逸脱し、何があっても揺らぐことのない確かなもの(常住)を見つけることが一番大切なことです。その確かなものを「法」(のり)=仏法といいます。
また、浄土真宗では、「他力」という言葉を使います。他人の力という意味ではなく、私(自分)が「私」として成り立つのは、「他」があってのこと。数えきれない、無量なるものが、一つの如しに繋がっていき、法のもとに支え合って生きていくものである。だからこそ・・・
背伸びせず、身の丈に合った生き方をせよ!!
たとえば、青い色の蓮の花は、いつも青い光を出している。他人と比べたり、他人を羨ましがったり、他人を嘲笑したりすることは、くだらない人生、つまらない人生です。大したことはできないかもしれないけれど、ご縁のある限り、生きさせていただいたらいいのです。
「私は、私でしかない。」
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ほんとに大切なことは、何か?!
自分に与えられた人生を、誇りを持って生きること。自分という肉体に、「こんなになるまで働いてくれて、ほんとにありがとう。」といって擦ること。そして、自分の周りにいる人に、「いつも支えていただいて、本当にありがとう。」と感謝の言葉を捧げること。
賑やかな家族に囲まれて、今日も、そのことを確認した一日でした。

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