2016年7月号

奇跡の「くるリーナブラシ」で舌と喉が生まれ変わる

「7年間も口から食べられなかった母が、たった1周間の口や下のリハビリで、アイスクリームを味わって、ごっくんと飲み込んだんです」
 アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の森雪役で知られる声優で講談師の一龍斎春水さん(61歳)は嬉しそうにこう話す。
 一龍斎さんは89歳の母親を自宅で介護している。母親は8年前に脳梗塞で倒れ、要介護5に。
胃ろうをつけ、現在も寝たきりで、痰の吸引も必要な状態だ。発熱や骨折でこれまで何度も救急搬送され、そのたびに余命は長くないといわれてきた。
 「母は歯がほとんどそろっています。しかし、食べることはできませんでした」
 一龍斎さんは訪問看護師と歯科医師の指導で朝と夜の2回、母親の口腔ケアを行なってきた。口の中から細菌が肺に入るために起こる誤嚥性肺炎を予防すれば高齢者の死亡率が下がることを、かかりつけの歯科医から聞いていたからだ。1回15分ほどの口腔ケアを行っていたがそこにさらに咽頭ケアが加わった。
 咽頭ケアは口腔内から喉まで清掃・刺激をして痰を出す力を引き出し、飲み込みやすくする方法だ。一般に口腔・咽頭ケアと言われ、両方を同時に行なうことが多い。
その口腔・咽頭ケアで活躍するのが、「くるリーナブラシ」(後述)だ。これで舌、左右の頬、喉などを刺激しながら丁寧に清掃すると、飲み込む機能を回復させることができるのだ。
 「咽頭ケアと舌のリハビリを取り入れ、口や嚥下(飲み込み)の筋肉を鍛えたことで、アイスクリームを食べられるようになったのです」(一龍斎さん)
それ以外にも、頬を揉んだり、口の内側に指を入れてマッサージすることも試みた。
舌をスプーンでつついて刺激することも始めた。すると、母親の表情が急速に変わってきたという。
「唾をゴックンと飲み込むようになり、わずか1日で痰が絡まなくなり、夜中の吸引が激減したのです」
 口の周囲の筋肉を鍛えたことで、胃ろうの穴のただれも治り、意識もしっかりし、目に力が出てきたという。動かなかった首も左右に動くようになり、ぼんやりしていた視線が、音のする方に向くようにもなった。
「口と脳が直結していることを実感できる出来事でした」
 人間の回復力のすごさを母から学んだと一龍斎さんは話す。

3センチ以上の痰がとれる

彼女が咽頭ケアを知るきっかけとなったのが、神奈川県で開業する歯科医師の黒岩恭子・村田歯科医院院長との出会いだ。黒岩院長は口腔・咽頭ケアの第一人者で、前述したくるリーナブラシの開発者でもある。
口から飲食できるための歯科医療の重要性を早くから提唱し、実践してきたパイオニアでもある。
 昨年5月、一龍斎さんは神奈川県の市民会館で行われた市民講座に参加した。「胃ろうでも口から食べられる」という内容に心惹かれたからだ。そこに黒岩院長も専門家として出席していた。
黒岩院長の話は衝撃的だった。
医療ミスで中枢神経が損傷し、意識がなく寝たきりの少年が、咽頭ケア・舌のリハビリで歩けるまでに回復したというのだ。自分のははおやの姿と重なった。一龍斎さんはすぐさま会場で黒岩院長に声をかけ、母親の相談をした。これが契機となり、前述した咽頭ケアや舌のリハビリが始まった。しかも、黒岩院長自ら自宅を訪問し、ケアやリハビリの方法を指導してくれることになったという。
黒岩院長が開発した「くるリーナブラシ」は1999年に発売された。口腔ケアがしやすい形状を追求して先端を丸くし、毛先を軟らかくした球状の歯ブラシだ。上下前後の汚れが取れ、乾燥した口腔内や舌の清掃が楽にできるのが特徵だ。
 口腔内の状態にもよるが、事前に保湿剤を口腔内に塗り、口の中を潤してから使う。毛の部分を水で濡らし、唇全体を毛先で軽く刺激してから、口の中にブラシを入れる。歯ぐきや歯だけではなく頬の内側、唇の内側も軽くマッサージやストレッチを行ないながらケアする。最後に舌にも保湿剤を塗り、表、裏、縁を清掃する。
黒岩院長がくるリーナブラシを使って咽頭ケアを行なうと、びっくりするほど大量の痰や汚れた唾液が取れる。それらが、むせたり息苦しくなったり飲み込みがうまく行かなかったりする原因のひとつだ。咽頭に張り付いていた、長さが3センチ以上の痰がごっそりと取れることもまれではないという。
黒岩院長は「死ぬまで飲食が可能になる口を作る」ことが歯科医の使命と信念を持ち、北海道から沖縄まで全国を飛び回って口腔・咽頭ケア、リハビリの普及に取り組んでいる。
「私は毎週休診日に全国の病院、施設、家庭を訪れていますが、”患者さんに歯科治療をしてもらっても食べられない。食べられる口を作ってもらいたい”という訴えがこの10数年増えています。歯科医として、これらの声に応えなければならないのです」(黒岩院長)

幻覚や暴言が収まった

彼女が治療した患者に、原因不明の病で口から食べられなくなった75歳の男性がいた。
彼は突然のめまいと吐き気に襲われ、2~3日後には呼吸困難に陥った。気管切開を行なって集中治療室に入院し、鼻から栄養補給のためのチューブを入れ、その後胃ろうをつけた。物が舌に触れると嘔吐するため、最初はくるリーナブラシも使えなかった。
 そこで、舌に触れないようにしながら、頬の内側に指を入れて、唾液の分泌を促すことから始めた。唾液を飲み込む訓練を行ない、くるリーナブラシシリーズの中の1本である、柔らかいモアブラシを使った口腔ケアを行なった。5ヶ月度、男性は嚥下ができるようになり、義歯を入れて口から食べられるようになった。口腔リハビリを行わなければ、長期にわたり胃ろうに頼ったままだったはずだ。「医師、看護師、言語聴覚士など他の医療職と歯科医チームで取り組むことで、回復を諦めていたような重症の患者さんが回復する可能性があるのです。」(黒岩院長)
 全身管理が必要なリハビリ病院だけではなく黒岩院長が力を入れているのが、地域での訪問診療だ。口腔・咽頭ケアや口腔リハビリをすることで、患者の全身状態が良くなるだけでなく、介護している家族の負担も減るからだ。
84歳の女性Kさんは、パーキンソン病と脳梗塞を患い、認知症の症状も出始めていた。
家の中では、幻覚や暴言もあった。介護している娘にとっては、まるで地獄のような日々だったという。訪問した黒岩院長がKさんの口の中を診ると、口腔内の汚れが目立ち、口の機能の低下が見られた。そのため、介護する家族とヘルパーに口腔ケアと口腔リハビリの方法を指導した。
また、顔の左側に麻痺があり、よだれが唇から流れ出て、頬が硬くなって動きにくくなっていたため、頬、舌、唇を刺激して動きやすくする方法も教えた。
 数カ月後、Kさんの頬の硬さが取れ、左側の麻痺が軽減し、唾液が上手に飲み込めるようになった。それと同時に幻覚などの周辺症状が収まり、穏やかになっていった。
義歯をいれて普通の食事が採れるようになると、「花見に行きたい」と話すほど元気になったという。
 また、多発性脳梗塞と認知症の83歳女性は、寝ている時以外は舌が口腔内fで激しく動き、口をモグモグ動かしている状態だった。ところが、義歯の改造修理をしただけで舌と口の異常な動きがなくなり、2~3日でパン粥がたねられるようになり、10日目には笑顔を見せ呼びかけにはっきりとこたえられるようになったという。
「口腔リハビリや噛める歯科治療で高齢者は生き生きと甦ります。やむを得ず胃ろうや点滴で栄養補給している人でも、口から飲食できるようになれば、必ず元気になっていきます。」(黒岩院長)
 口の中が健康になって長生きする「健口長寿」社会の未来が個々にある。